指先とハンドクリーム

食べたり読んだり日記を書いたり

日記:1月24日〜26日

1月24日

大寒波が来た。というか働いている間に来ていた。夕方頃からみるみるお客さんが来なくなったと思ったらJRが止まっていたらしい。みんなで大急ぎで閉店作業をして店を出ると、雪が積もっている!さ、寒い!雪を見るのが久しぶりでテンションが上がる。電車のダイヤが乱れていたが帰宅難民にはならず、なんとか駅に着いた。吹雪の中、Tさんが傘を差して迎えに来てくれた。滑ってこけたり、車がスリップしてくるかもしれないから危ないと思って来てくれたそうだ。なんと優しい人なのか。帰り道の疲労が全て吹き飛ぶ。足元に気をつけても時々滑ってコケそうになりながら帰った。玄関の前にも雪が積もっていて、Tさんが雪玉を作って投げつけてきた。すんごい嬉しそうにはしゃいでいて、私も一つ投げ返した。雪は、まるで雪じゃ無いみたいにサラサラで手が全く濡れなかった。不思議。

 

1月25日

起きるとこんもり雪が積もっていた。Tさんが「ゆきこ、公園へ雪遊びしに行くぞ!」と満面の笑みで言ってきて、こ、こんなに寒いのに!?と思ったがせっかくなので行くことにした。登校中の小学生がみんな雪を踏みしめては嬉しそうに声をあげたり、犬が足が冷たいのだろうお尻を高くあげてプリプリ歩いているのを見ながら公園まで歩いた。息が白くて、ありとあらゆるものが白くて違う県に来たみたいだった。公園の雪は昨日みたいなさらさらじゃなくてちょっと固くなっていて、遊べそうに無かったのでセブンに寄って帰ってきた。

仕事をして、お昼はウインナーとピーマンのパスタを作って食べた。母と会う約束をしていたので家を出る。待ち合わせ場所のショッピングモールで2時間待った。母は今日大切な面談があり、それを終えてから来た。朝から車の渋滞やら電車の遅延でかなり大変だったらしい。雪の影響が出ることは分かっていたが、さすがに約束の時間になる前に一本連絡を入れて欲しかった。私の機嫌が悪かったので、会ってすぐに母は泣いた。こんなに大変な思いをしてここまで来たのにどうしてあなたはそんなに思いやりが無いのと言われた。その後カフェに入って母の話を聞いたが、あなたは本当のところでは私自身に興味など無く、私の話もどうでもいいと思っているんだと言って泣いた。

私は中学生くらいの頃から母が泣き出すと、かなり冷めた気持ちになるようになってしまった。なぜお母さんなのに泣くのだろう。大人なのに。子供に対してなぜそんな感情のぶつけ方をするんだろう。と思ってしまうのだ。そう思ってしまうのは私が幼少期の頃に「お母さん」という大きな理想を持ってしまったからなのだった。両親が離婚した時、母は私の想像する「お母さん」では無かった。ドラマで見るような、笑顔でご飯をよそうお母さん。「そうなの、辛かったわよねぇ」なんて言っているお母さん。私の中での理想があまりにも強くて、母に対して冷めた目で見るようになってしまったのだと自覚している。でも母は独りでずっとずっと私を手放すことなく育ててくれたのだった。学校から帰ると「温めて食べてね」と必ずご飯が置いてあったこと。必ず私の味方でいてくれたこと。最悪な日も、楽しい日も2人で生きてきたのだ。母の愛情は疑いようもなく本物だった。

お母さんでも泣くんだ、と理解したのはもっともっと最近のことだ。ただの1人の人間で、そこには感情も思いもあって、親だって分かってほしい気持ちがあること。「かそけきサンカヨウ」という映画を見た時に「親なんだから」という考えにしがみついていたんだなぁと思ったのだった。

それでも、この年になっても私は母に対して私より大人な態度でいてほしいと思ってしまう。私のふてぶてしい態度を見ても「ごめんねぇ待たせて。何か美味しいものでも食べようか」と言って欲しかったと思っている。

その時は頭が回らず、母が泣いたあとの空気も重々しくてケーキの味もさっぱり分からず、思っていることは何も言えなかった。家に帰って、私は冷たい子供なんだろうかと考えた。普段、母のことを特段心配したりせず、母がどう生きていてもそれは母の選ぶ人生なのだから自分で決めてほしい、考えてほしいと思う私は冷たいのだろうか。その選択への関心が薄い私は冷たいのだろうか。全く分からない。

お母さんでも泣く、というように子供だからといって親の全てが大好きで信じているわけではない。子供は親の話を聞くマシーンでは無い。子供だからと言って無償でなんでも聞いてくれるわけではない。だって1人の人間だから。聞きたく無いこと、嫌いな話題、どうでもいいこと、そりゃあるよなぁと思う。私はここに書きながら(途中号泣していたがTさんは寒波がすごすぎてよく鼻噛んでると思っている)気持ちの整理をすることが出来たが、母はどうだろうか。

夜、TwitterでHomecomingsが新曲を出すとか僕のマリさんが新刊を出すとか嬉しい情報を見て胸が躍った。ホムカミのツアーチケットを早速申し込んで眠る。

 

1月26日

8時半起床。寒すぎる。なんとか布団から出てコーヒーを淹れる。仕事が無い。ここ最近仕事のない日が結構ある。仕事をください…。昨日の出来事について書く。書きながら自分の考えを整理できて良かった。すごく晴れているので、ちゃちゃっとお昼を済ませて出かける準備をする。今日はたくさん本が読みたい。スコーンが美味しいカフェにやって来た。どこに座ろうか迷って、なるべく人気のない隅にしようかと思ったが、日差しが恋しくてちょっとだけ窓辺に近い席にした。スコーンセットを注文する。スコーンにつけるためのクロテッドクリームというものが、もう美味しすぎて思わず目をつぶったりガン見したりした。「せいいっぱいの悪口」「文にあたる」を読んだ。紙に当たる日の明るさにホッとする。

好きな本屋へ来た。今年初めてである。気になる本が溜まっていたので、見つけては順番に読んだ。4冊ほど。読みたいと思うような本が用意されていて、いつでも読めるように開かれている場所は本当にありがたい。今日は本の予約をしに来ただけなので、ちょっと読むだけ、買わないぞ、と思っていたのに最後に手にした「じゃむパンの日」(赤染晶子)が本当に面白くて決心が揺らぐ。いやいや、今月は金欠だからね、買わないからね、と本を戻す。けど、あと少しだけ読みたい…と手に取る。を3回繰り返して、買った。もうこんなに読んだなら買うべきだと思った。お会計の時に来月発売される日記本の予約をお願いした。メールアドレスを書いたあとに「ゆきこさんって、前も一度メールしましたよね」と言ってもらって嬉しくて恥ずかしくて、それでも「2月中旬ですね、ありがとうございます」と顔を見て言えたので良かった。自分は平気で「最近よく来てくださいますよね」とか言うのに、自分がその立場になったらモジモジしてしまう。本当はこのお店が大好きですと伝えたい。

駅前の花屋さんで130円のチューリップを買って帰った。久しぶりに花を飾る。晩ご飯にシチューを作って食べた。お財布がぺったんこになり、しばらく贅沢は我慢しないといけないが今日の出来事でしばらく生きていけるなと思った。蕾が緑で、まだ何色か分からないチューリップが楽しみ。